グリーン・ポケットの歴史は差別化の歴史 - 緑のレンタル | グリーンポケット          

小さな森づくりコラム

  • 2025.04.14

    小さな森づくり

    グリーン・ポケットの歴史は差別化の歴史

     グリーン・ポケットは観葉植物をオフィスや店舗にレンタルしています。かつては貸し植木と呼ばれ、造園会社が片手間に行っていた仕事です。その昔からある仕事を私たちは明るいサービス業に転換し、イメージを変えました。そしてただ植物をレンタルするだけではなく、緑が持つストレス軽減効果などその力を活かした「小さな森づくり」で、仕事の意義までも変えてきたのです。貸し植木からグリーンレンタルへと、差別化を行ってまいりました。グリーン・ポケットの歴史は差別化の歴史です。

     

    ○日本のレンタル業の歴史

    レンタルとはお客様が期間を定めて欲しい物を借りることです。同じ借りるという形でもシステムの違うリース方式との使い分けも明確になり、現在は生活に関するほとんどの商品を必要な時に必要な分だけレンタルすることができます。サブスクという定額の借り放題のサービスも、様々な分野で普及しました。

    レンタル業はすでに江戸時代には存在していたようです。「損料屋」と呼ばれる人たちが生業としていて、現在のレンタルサービスと殆ど変わりない商売形態だったという記述が残っています。

    代表的な貸し出し商品は、貸し褌。主に武士が利用し、一般の人たちも借りることがあったようです。さらには季節によって異なる生活用品や旅行用品、冠婚葬祭に関係する小物品までメニューは多様です。借り賃にはいわゆる保証料も含まれていて、かなり高かったようです。それでも買うよりは借りた方が安かったのでしょう、当時の庶民の生活事情が伺えます。

     

    植物の貸し借りについても江戸時代からあったようです。祭りの時期だけを盛り上げるディスプレイとして盆栽をレンタルしたとされていますが、正確な記録としては残っていません。

     

    こうして多くのジャンルの商品が、時代の流れや技術の進歩に合わせてレンタルされていきます。例えば自転車を貸し出すレンタルサイクルです。日本発祥と言われており、明治10年頃に横浜で始まりました。明治維新が起こってから外国人が日本国内に住み着くようになり、横浜は特に多かったそうです。彼らの生活は新しい物好きの日本人に注目され、中でも自転車は格好良く評判でした。それに目を付けた人が貸し出したのが最初だと言われ、お洒落でしかも便利だと多くの人が自転車をレンタルをして横浜の街を走ったそうです。このレンタサイクルが、やがてレンタルバイクやレンタカーへと広がっていきました。

     

    近年では、家電のレンタルサービスを展開するレンティオという会社が話題です。同社のサービスは「家電はレンタルでいい」という人が対象です。店舗はなくWEB上で全てのやりとりを行い、実際の商品の受取りや返却は段ボールを使った宅急便です。来店のないシステムは、新型コロナウイルス流行の2019年以降巣ごもり需要を呼び、売上が急増しました。現在は6000種類を超える品目を15万人に提供しています。

    また、時代に合わせた新規の客層の開拓や社会貢献の意識も高いです。例えば新規客層開拓では、家を持たない暮らしをする「アドレスホッパー」層の需要開発です。アドレスホッパーとは、Address(住所)とHopper(次から次へと歩きまわる人)を組み合わせた造語で、国内外のどこでも自由に転々としながら「拠点を持たない生活」「自分にとって本当に必要な物を厳選する生活」をする人です。そんな新しい生き方をする彼らの需要にレンティオのサービスは応えています。

    社会貢献についてもSDGsの参加に積極的です。同社はホームページで「新しい消費行動をつくるというミッションのもと、製品の循環型社会の仕組みを整え「捨てるを減らす」使い方をお客様と一緒に実現しています。この事業理念は、SDGs目標の1つである「つくる責任 つかう責任」(GOAL12)に密接したものであり、事業活動を推進することで社会の持続可能性に貢献し、2030年を期限とするSDGs達成へと繋げています」と、その姿勢を表明しています。レンタル業界の新しい流れです。

     

    〇貸し植木からグリーンレンタルへ

    観葉植物のレンタルの歴史をみていきましょう。日本人の植物を愛でる歴史は古く、日本書紀にはすでに庭園の記述が残されています。そして万葉の太古から、自然や草花は折にふれ歌に詠まれ絵画に描かれてきました。

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    もし仮に日本に伝世する障壁画や屏風、掛け軸などの絵画作品から植物を消し去ったら、それらはほとんど作品としての意味や価値を失ってしまうでしょう。日本の植物に対する文化は世界に誇る文化といえます。

    観葉植物は明治時代に伝わりましたが、一般的に広まったのは戦後の高度成長期以降でしょう。当初置かれてはホテルやレストラン、またクラブ、高級キャバレーなどの社交場でした。それから商業施設や小売店の店頭などでも見られるようになります。オフィスはエントランスや応接室・受付などです。インテリアの1つとして、来客者をお迎えするものでした。

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    その仕事の担い手は造園会社です。彼らの主な仕事は、公園や街路また個人邸宅の樹木や草花を手入れすることです。仕事は時期的なものがあり、その本業の合間に観葉植物のレンタルも行われていました。鉢植えの木をトラックに積んで貸し出しに行くといった片手間的なもので「貸し植木」と呼ばれ、大きなウエートを占めるものではありません。オフィス内にはお祝いものとして貰った植木鉢が置いてある程度で、管理は総務部が水やりをして、枯れたら廃棄していました。

    このような状況だった1977年、国土緑化株式会社は設立しました。国会議員の秘書をしていた堺が、26歳で興した会社です。

    当時は高度成長が終焉し、オイルショックによる不況が続いていました。社会は公害問題で揺れ、水俣病裁判において国が敗訴し患者たちに謝罪しています。環境に対する意識が高まり、経済を優先させた歪みや弊害が明らかになってきたのです。それを埋めるかのように、国会では緑地法案が次々と審議されていました。

    起業の機会を伺っていた堺は、その社会の流れを見て「これからは環境の時代になる」と確信し、環境事業に注目します。中でも社会的意義が高く人に喜ばれる緑化ビジネスに大きな可能性を感じたのです。

    先ず貸し植木の発想を捨て、毎月交換とメンテナンスを行うというレンタルシステムを確立しました。そしてサービス業であることを徹底すれば、既存の業者と大きな差別化ができるはずです。それまでの業者はただ植物を貸すだけでしたが、それを明るいサービス業に変えていけばお客様も満足されるだろうと考えました。

    そこでグリーン・ポケットは、「植物」「挨拶」「コーション」「清潔」「スピード」をサービスする5つの商品としました。植物だけではなく、サービスマンの人間性や立ち振いも商品としたのです。

     

    ・手入れされたクオリティーの高い植物をレンタルする

    ・明るく元気で爽やかな挨拶をする

    ・お客様とコミュニケーションをとり進めていく

    ・清潔なユニフォームで身だしなみに気をつける

    ・作業スピードやクレームのレスポンスを速くする

     

    常にこの5つの商品を提供することを意識して業務にあたるようにしました。

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    これがグリーン・ポケットの独自性と差別化につながったのだと思います。

    おかげさまで、今年8月で説立48周年を迎えます。時代の流れを反映し、業界を変えていこうという姿勢は、設立以来変わっておりません。フランチャイズ方式による全国展開、オフィス環境を創る植物の力の科学的検証、SDGsにもつながるオリジナル商品の開発など行ってまいりましたが、これからもこの姿勢で臨み緑化ビジネスの未来を広げていきますので、よろしくお願い申し上げます。

     

     

     

     

     

     

     

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